黒田官兵衛NHK大河で注目!家臣と兜と子孫と名言から生き様を学ぶ
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2014年のNHK大河ドラマはV6の岡田准一さん演じる『軍師官兵衛』。ドラマの主役である黒田官兵衛という戦国武将はどのような人だったのか?色んな角度から紐解いていってみましょう!
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黒田官兵衛という男をササーっとご紹介
あの天下人秀吉を支えた名軍師
秀吉のサクセスストーリーの陰には優秀なNo2の存在が欠かせませんでした。前期は竹中半兵衛。後期は黒田官兵衛という名軍師の存在がなければ皆さんが知っている秀吉は無かった可能性が高いです。
終盤では官兵衛の存在を秀吉は恐れていたとのことですから、いかに凄かったか。
あの姫路城を守っていた!姫路城代黒田官兵衛
日本三名城として、国宝として名高い姫路城。
そのお城を守っていたのが黒田官兵衛なんですね。
官兵衛の兜
愛用した兜「銀白檀塗合子形兜(ぎんびゃくだんぬりごうすなりかぶと)」は、如水が死の間際に家臣である栗山利安にこれを贈っている。この兜は後に起こった黒田騒動にて利安の子である栗山利章が盛岡へ流された後、盛岡藩主へ献上された。
引用元:Wikipedia
この兜の別名は「如水の赤合子」。
黒田官兵衛は通称で本名は黒田 孝高(くろだ よしたか)で、出家後は黒田 如水(くろだ じょすい)ですからこの如水が伝わったんでしょうね。
全体像はこんな感じ。
出典:city.nishiwaki.lg.jp
このお椀がカッコイイかどうかは別にして、この兜を見た武将達は恐れおののいたことでしょうね。ある意味目立ちますもんね。
黒田武士団(黒田二十四騎)に見る官兵衛の人材育成
出典:harima-kurodabushi.com
官兵衛は戦略だけでなく、人材育成にも優れていたようです。
『黒田武士団』とか『黒田二十四騎』などと称された優秀な家臣を擁していました。
更にその中でも選りすぐりの8人が『黒田八虎』と呼ばれていたとか。
8人凄い人がいれば、たいていのことはできますね。
更に16人中々凄い人がいたわけですから、いかに黒田軍が優れていたか。
この時代で珍しく側室を持たなかった官兵衛の子孫
官兵衛の子供は二人。内一人は成人になる前になくなっています。残ったのは後継ぎである黒田長政一人。
この時代の武将はお家断絶のリスクを抑えるため、側室を持って沢山の後継ぎ候補を持っているのが主流でしたので、官兵衛は珍しいタイプの武将だったようですね。
でもその後継ぎもしっかり活躍していますので、官兵衛の考えは正しかったのでしょう。
では最後に名言をどうぞ
天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり。
大将たる者は、威(威厳)というものがなければ万人を押さえつけることはできない。こしらえごとでいかにも威を身につけたように振舞ってみても、それはかえって大きな害になる。
まず自分の行状を正しくし、理非賞罰をはっきりさせていれば、叱ったり脅したりしなくても、自然に威は備わるものだ。
その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。
引用元:いずれも
黒田如水(黒田官兵衛)の発言・格言・名言集【黒田孝高】 - NAVER まとめ
今も昔も根本は変わらないです。
大人になってから戦国武将の生き様勉強するのは非常にためになると思います!